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広島大学附属小学校に行かせてもらいました(前編)。
2006 / 02 / 10 ( Fri )
水曜日、午前11時の新幹線に乗り、一路広島へ。三島から広島まで800キロ弱。いやぁ遠い遠い。名古屋で「のぞみ」に乗り換えたものの、着いたのは午後3時過ぎ。4時間以上も座っているのは、さすがにこたえた。

実は、前の総合学習発表会が土曜日に行われたので、私は「週休」をもらえるようになっていた。しかし、この仕事は休んだら結局自分の首が絞まる。だから、一応週休分として、ちょっと早く広島に行かせてもらったのだ。そこで行ったのは、やはり平和記念公園。学生時代に行ったことがあるのだが、もう一度行きたくなったからだ。もちろん入場料は大人50円。安い。

展示は以前ほど変化はなかった。けど、なんだか涙が出そうになる。
これが人の行いなのかと思った。やはり、原爆は人道無視の大量破壊兵器なんだろう。原爆が落とされる前と後の様子を写真で比べた展示を見ると鳥肌が立った。焼け焦げた物、服、原爆症に悩む人達、心にズキズキ突き刺さる。

学生の時はさほど感じなかったこの気持ちは何だろう。
多分、自分が教師になったことや親になっていることがこの変化を起こしていると思った。
 
教師としては、この事実を確実に伝える必要があると思う。親としては、原爆が落とされた時の親の気持ちを想像すると、今の神経では耐えられないだろう。赤子を抱いて立ちながら焼死した母親、核の閃光に気付くや否や命を落とした方々、今でも続く後遺症…、本当にわがままな思いだが、私の家族はそうなってもらいたくない。それだけではない。私の知らない人達もだ。

平和公園を歩く。自転車に乗ったおやじさんが、慰霊碑の前で手を合わせていた。年を召したスーツ姿のおじいさん(失礼ながら)が椅子に座りながら、友人に「わしと同じ世代、兵隊として徴兵されずに動員だけされた世代、小学生のように田舎に疎開しなかった中学生だった連中だけが多く死んだんじゃ。ここに家を取り壊す作業をするために駆り出されて、原爆をくらった。」と話していた。

疎開の一つとして、都市にある家を取り壊す作業をするために、中学生は駆り出されていた。作業がはじまったばかりの午前8時15分。とある中学校は死亡率が94%だったという。

改めて気がついた。平和公園は広い。しかし、それだけ原爆は街を焦土にしていたのだ。

再び鳥肌が立った。




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テーマ:学校での出来事 - ジャンル:学校・教育

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コメント
--広島 大好きなんです--

広島。三島にものぞみよ、とまれ、というほど果てしない道のりですよね。わたしも平成12年に本町小学校へ、そして昨年夏、広島にいってまいりました。路面電車、町、平和・・・なにか町に血が通っている気がしてとても好きです。(サイトへの直リンクですが・・・)
http://www2.wbs.ne.jp/~izutsubo/komorebi/hiroshima%20iwakuni.html

http://www2.wbs.ne.jp/~izutsubo/komorebi/hirosima.htm

視察報告も熟読してます。続編も待っています。
by: つぼみ * 2006/02/11 11:12 * URL [ 編集] | page top↑
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