そうか、もう14年も経つのか。
2009 / 01 / 17 ( Sat )
おそらく14年前の今頃は、今と同じようにパソコンに向かっていたはずです。
卒論の〆切間近で、必死にかき集めた資料をコタツの脇に置き、必死に打ち込んでいました。
そして、コタツに足をつっこんだまま、うとうとと寝ようとした時に。

地面が揺れました。そうです。阪神大震災です。
揺れた瞬間にテレビを付けました。
関西ローカルの早朝番組、スタジオの照明が急に落ちるんです。
「大きく揺れています。落ち着いてください。」という声。
さすがに、その時はビビリました。

揺れが収まり、下宿先の窓を開けて、周りを確認しました。
何も変化がなかったのでホッとして眠りにつきましたが、すぐにバイト先の電話の音に起こされました。

バイト先は小さな新聞社。そこの編集作業の手伝いをさせてもらっておりました。
卒論があるから・・・とバイトを一時休ませてもらっておりましたが、
「とにかく来い」の一言で、バイト先に向かうと・・・。
床には写真を現像するための現像液・定着液がビッショリ。
パソコンはショートしてしまったものもありました。

また当時は通信社から専用ファックスで原稿が送られてきていたんです。
重要度の高い記事が送信される時は警告音が鳴る機械が、ワンワン警告音を鳴らし続けていました。

そこでワタシは、朝感じた揺れが尋常じゃない、「震災」だったことを知りました。
阪神高速が倒れていた写真。ぞっとしました。



今日の道徳の授業では、震災について話をしてみました。
(道徳というか学活のような気がする。振り返ってみると。)

今の子どもたちは震災についあまり知りません。
当然でしょう、彼らの生まれる前のことですし。

3階部分が崩れてしまったマンションの写真を見せました。
そのことに、子どもたちは最初気づかなかったんです。

詳しいことを大人の目で教えるより、震災後編集された小学生の作文を読みました。
その方が子どもたちに伝わるかなと思ったんです。


地震って改めて怖いなって、子どもたちは思ったことでしょう。
まして、ここは静岡ですから。
生まれてきた時から、「大地震が来そうです」って言われ続けていますから。


ただ「怖さ」だけ伝えるだけの授業にしたくありませんでした。
授業の終盤では、地震が起きた後の避難所の様子や子どもたちの気持ちが書かれた作文を読みました。

自分や自分の家族だけでなく、隣家や地域の方を救おうとする様子や、
全国の消防が兵庫に集まったり、ボランティアの方や避難所で手伝いをする子どもたちであったり、と。
皆さんで励まし合うことを話していきました。


地球自体が1つの生き物ですから、地震は避けることができない。
最初の30秒は自分の命を守るために必死であるべきで、
次の3分で逃げ道を確保し、3時間で避難所に向かい、
3日分ぐらいは自分の食料を・・・という話をして授業を終えました。


きっと、今日のテレビでは「震災」の話題にふれないことはないでしょう。
ひょっとしたら、静岡は関東側でありますので、関西の方とは温度差があるかもしれませんが。

ただ、子どもたちに震災のことを知らせていくのは、大事だと思うんです。


↓そんな小学校教師の思いでありました。
↓ワタシの普段の指導はぼちぼちですが、避難訓練はかなり真剣に行います。
↓それが、震災で非情にも亡くなった方やそのご家族の方へのワタシなりにできることだと思うのですが、
↓いかがなものでしょう。
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