汚れつちまった喜びも。
2007 / 11 / 09 ( Fri )
今週、職員室で主任と話していたこと。
「今の子ってさ、汚れる体験ってあまりしていないよね。いいのかな。」と子どもの様子について話が出た。
生活科で、飼育小屋で飼っているウサギをさわらせていた時のこと。
アレルギーがある子は仕方がないものの、ウサギが「汚なそう」でさわれないという子が数人いたそうだ。

確かに、今の子たちって、昔の子どもとくらべて驚くほどきれい好き。
もちろん、うちの子どもたちを含め、机の上や中は乱雑なのだが、
いざという時に、「汚れるのはイヤ」という反応が出る。
給食でパンを床に落としてしまったら、けっして食べない子が多い。
「3秒ルール」なんて、知らない子が多い。
皮をむいていないミカンですら、「落としました。食べられません」と訴える子もいた。
別に泥に落ちてしまったわけにもないのに。


木曜日に子どもたちと学級会を開いた。
議題は「昼休みの遊びを見直そう」。遊び係の提案を子どもたちが話し合う。
すると、「どろけいは、『ズル』があるからイヤ」という意見が出た。
「どんなズル?」と聞き返してみると、
「タッチしたのに、タッチしてない」「勝手にどろぼうが逃げていってしまう」などなど。
もちろん、ズルすることを認めるだけではないが、
子どもたちの遊びの中に、「悪どさ」は確実にあるはずだろうとも思う。
でないと、すべての遊びに審判が必要になってしまう。

よく話す子どもたちに成長している。
話はSケンにまで波及していった。
「Sケンは痛いから、泣く子が出るからやめた方がいい。」
「Sケンはいつもケガをする」
気がついたら、「Sケンは、昼休みの遊びにふさわしくない」と子どもたちは結論を出した。

ここは大統領のように「拒否権発動!」をしたいと思った。
でも、思いとどまった。昔のワタシなら、なんども発動してきた。
今のワタシは、子どもたちの学級会の価値を高めるためにガマンした。
学級会は子どもたちの最高議決機関であるからだ。


ただ、なんとなく悲しかった。
子どもたちが夢中になって遊んでいた遊びも、「痛み」を理由に消えていく。
それでいいのかなという思いが残った。


子どもが成長する過程では、ある程度の「ズルさ」というか「汚なさ」というか、
痛い思いをすることも必要だと思う。
なんだか世の中自体が潔癖性になってきている気がするし、
長い目で見たら、微々たる事も「いい」「悪い」という両極端な見方で判断する。

本当に、子どもたちが強い心をもつためには、痛みにも耐えることも必要だし、
ズルさに怒ったり、自分自身がズルをしてしまったという思いというか後悔することも必要。
時に、子どもたちは残酷なこともすると思う。
現にカマキリにエサをあげようって、バッタたくさんつかまえてくるし、
わたしたちの小さい頃だってカエル何匹殺してしまったか。
もちろん、それは今考えるとひどいことだと思うけど、大きくなるに連れてそれが「残酷だった」
「命を粗末にしてしまった」と気づくことが、本当に命を大事にすることにつながるんじゃない?


いつもマイペースな今年の主任との雑談。
仕事は少々遅いのだが、子どもをじっくり見ている方である。
ワタシはこのような先生も、大事だと思う。


今の世の中は「学力」だけに意識がむいてしまってはいないか。
子どもの心を育てるというか、本当に芯のある強い子に育てていくことが大事なのに。

こんな先が分からない世の中だからこそ、強く、人の痛みが分かる子を育てていくことが大事なのに。

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あ、Sケンは仕方がないので、授業で指導することにしました。
おしくらまんじゅうみたいなものですし、冬には最適ですし。

では。
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