命より重い責任なんてありえない。
2007 / 06 / 09 ( Sat )
こんばんは。真夜中の更新です。
私の思いばかりで記事を書いてしまいました。
すみません。


先ほど、ニュースを見ていたら、
どうしても気になったことがありましたので、
一個人として自分の考えを伝えたくなりました。


それは、このニュース。
千葉県市原市の市立小学校に勤務する男性教諭(34)が、千葉市中央区の自宅で首をつって自殺していたことが8日、分かった。この男性教諭は、2001年度から06年度まで勤務していた市原市内の2つの小学校の児童計269人分の個人情報を、ファイル交換ソフト「ウィニー」を通じてインターネット上に漏らしたとして、市教委から事情を聴かれていた。
(ヤフーニュースより)


先日、情報モラル研修を受けてきました。
そこでも「ウィニーは使わないように」というお話がありました。
ファイル交換ソフトがどのようなものか詳しいことは分かりませんが、
確かに、一度ネット上に流出してしまった情報は回収ができないもので
この「漏らす」という行為が、大変なことなんだと痛感させられました。


でも、思うんです。

命<個人情報

で、よかったのだろうかと。


せっかく教師として仕事をしてきたんだから、
世の中自体がこの仕事に対して、いくら冷たく厳しい風潮であろうとも
できる限り楽しく、できる限りの仕事をして、
自分の教員人生を精一杯生きるべきではなかったのでしょうか。

いくら世の中がデジタル化されつつあっても、
子どもと関わり合う部分はあくまでもアナログ。
計算ができないもの。
時として想像以上の奇跡だって生まれることもあります。


パソコンがもとで命を自ら失うことになる世の中でいいのでしょうか。


確かに、情報モラル研修を受けてから、私の意識も変えなきゃなと
思うようになりました。

例えば、USBメモリ。
子どもたちの個人情報を入れ、常に持ち運んでいました。
研修を受けてメモリの中には、
ファイルをできだけ少なくするようにしました。
更に今までは面倒だなぁと思っていたUSBメモリの
セキュリティソフトを使うように変えました。
私は「おっちょこちょい」。
もしもメモリを紛失したとしても、
ファイルを開かれる前に「鍵」をかけておくべきだと
思うようになったのです。

もちろん専門的な知識がある人には意味がないことかもしれませんが、
今、自分ができるだけの自己防衛と悪あがきぐらいはしておこうと
思うようになりました。


それでも、パソコンがもとで、
人が死を選ばなければならない
世の中であってはいけないと思うんです。

きっと、その先生なりの責任の取り方だったのでしょう。

でも、その先生の命より重い「責任」だったのでしょうか。

なんだか悔しいのです。
もっと、他の方法があっただろうに、
責任ばかり追及するのではなく、
誰かが、その先生を守ることをしたのでしょうか。

「ま、仕方がないさ」という言葉だけでも
 人の気もちを救うことができたはずなのに。


仕事を少しでも楽に、円滑かつ効率的にするために、
人はマニュアルなどシステムを作ってきたのでしょう。
そして、更に処理速度を上げるために、計算機や
パソコンが生まれたのでしょう。
でも、「人のために」あるはずだったシステムや機械が、
いつの間にか、人を苦しめるようになった気がするのです。

どんな時でも、人はお互いを助け合い、
支え合って生きてきたはずなのに…。


「デジタル情報は完全に回収できない」
そう考えると、私がネットを通じて発信してきたこのブログが
いつか私の首を絞めることにつながらないかな…と
思うようになりました。

私も家庭をもつ者です。
今、この記事を書きながらも、ふと「このブログも閉鎖すべきかな…」
という思いが頭をよぎりました。

それでも、私としては、小学校教師の仕事と思いを全国の皆さんに
お伝えしていきたいのです。あくまでも善意のメディアとして。
叩かれっぱなしの職業でありたくないですから。
力がない教師の「いっぱいいっぱい」の表現手段として。

パソコンを上手に使うことで、自分なりに、もっといい仕事が
できれば教師として、いや自分自身として幸せなんだろうと
私は思います。

にほんブログ村 教育ブログへ


最後に、亡くなられた先生のご冥福をお祈り申し上げます。















スポンサーサイト
02 : 48 : 55 | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
<<これでは10キロ走れない。 | ホーム | 明日、晴れたなら 川に行・・・。>>
コメント
--初めまして。おじゃまします。--

教師は無能であれば退職まで安泰です。現に私のまわりには、教師として最低限の仕事さえこなせないような輩ばかりでした。私は時に、隣のクラスの崩壊を立て直したり、また逆隣のクラスの不登校児を立ち直らせたりしていましたが、一部能なし達に妬まれ、校長や教育長まで敵に回し、ついに教職を逐われました。
最後には前科者にまで仕立て上げられた自分ですが、今、命を賭けて口を開いています。
私も危うく県教委や検察に殺されかけました。
自殺という形で。

きっと、その亡くなった教師を管轄していた教委は、ほっとしていることでしょう。
一度、いらしてみてください。
あり得ない真実を、最後まで語るつもりです。
では。
by: 飛鳥 * 2007/06/09 17:41 * URL [ 編集] | page top↑
--自分の命--

 自分の命と対等に比較できるものはこの宇宙しかないと私は考えながら職務を果たしてきました。
 何故に、自分の命の行方を他人に左右されなければならないのでしょうか。
 自分の命は宇宙よりも尊いものだと思います。犯罪でないかぎり他人からの非難は無視して良いと思います。このような非難・中傷は時間が解決してくれます。時間に任せておき、自分は平然としておればよろしいと思います。
 場合にもよりますが、協力することさえ一切不要だと思います。
 「廓然無聖」という言葉があります。
また「赤肉団上に一無位の真人あり」ということばもあります。
 人々は皆平等なのです。聖人も凡人もありません。人は死んでしまえば皆同じ骨になるるのです。何を根拠に人々は他人を非難するのでしょうか。非難する人は聖人なのでしょうか。そんなことある筈がありません。
 自由自在に日々研鑽しながら堂々と生き抜いていきたいと思います。

 乱文にて失礼しました。お許しください。
by: zazen256 * 2007/06/10 05:09 * URL [ 編集] | page top↑
--笑顔がかさなれば。--

コメントありがとうございました。

難しい話は私は苦手です。
基本的にお気楽に生きているので。

ただ、思うんです。

人と人とが、にらみあって、責めあって
生きている世の中なんて
ゴミ箱に捨ててしまえと。

それよりも、
人が人のよさを認め合い、
励まし合い、支え合うことを
目指していくべきだと。

世の中は厳しいというけれど、
だからといって、理想は追い続けたい。
子どもたちの背景は多種多様。
勝ち組も負け組もいるけど、
子どもは教室の中ではあくまでも平等。

だからこそ、せめて教室の中だけでも、
優も劣もない世界にしていきたいのです。

そして、それが教室だけではなく、
学校に地域に、世の中に広がっていくことを
願って今、仕事していきたいと思います。


教師という職業が叩かれる世の中、
だからといって、欠点ばかり叫ばれて
よさが認められなければ、
世の中悪くなるばかりではないですか。
(教師だけではないですね。
 すべてのみなさんに当てはまることです)

だから、私は中山謙さんの
「笑顔がかさなれば」の歌のように、
教師として子どもたちのいいことを認めて、
生きて生きて生ききってやりたいと
思うわけです。


ま、基本的にお気楽なんですが、
いかがですか?




by: うるとらまる * 2007/06/10 06:13 * URL [ 編集] | page top↑
--一人で背負わず--

いつも読ませていただいています。初めてのコメントです。よろしくお願いいたします。

私たちをここまで追いつめているものに怒りを感じます。

そしてそんな時代だからこそ、悩みや問題を一人で背負わず、みんなで支えあっていきたいですね。

二度と、このような悲しい事件が起きないように。
by: しおちゃんマン * 2007/06/10 11:26 * URL [ 編集] | page top↑
--初めまして--

わたしは今、仕事の失敗からうつ状態になっています。自殺したかたの気持ちが分かります。
だから、もし、今後、周りの方で仕事上で悩んでいるかたを見つけたら、やさしく声かけをしてあげてください。
by: piano * 2007/06/17 10:59 * URL [ 編集] | page top↑
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://ultramarutti.blog26.fc2.com/tb.php/485-2ce6f2e4
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |